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HOME   »   競馬  »  [競馬コラム28] フジノオー 第120回グランドナショナル競走で競走中止
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 グランドナショナル競走は、イギリス競馬の障害競走(G3重賞)ですが、年々人気が高くなっていて、イギリス競馬の全てのレースの中で馬券の売上高1位のレースです。2008年には、長く世界一の競馬馬券売上高1位レースであった有馬記念競走(日本競馬)を抜いて、世界一の売上のレースとなりました。グランドナショナル競走を語る時、この点を十分に認識しておく必要があります。

 グランドナショナル競走は、1836年に創設されたレースです。1780年に創設されたダービー競走から遅れること56年・約半世紀ですが、世界で最も古い競馬レースのひとつであることは、間違いありません。今年、2012年の4月のレースで165回を数えています。
 開催場所は、イギリス・リバプール郊外のエイントリー競馬場。レースの距離は、4マイルと4ハロン、約7240mです。16個の障害物が設置されているコースを2周弱して、30個の障害物を越えるレースです。コースの形は三角形で、概ね平坦です。

 各々の障害物は、エゾマツの一種である「トウヒ」によって作られています。トウヒの枝を積み重ねて障害物にしていますので、日本の障害レースの障害物とは異なりますし、テレビ画面で競走馬が飛越している様子を観ると、掻き分けたり、前脚と体で乗っかったりする時に、とても重そうに観えます。各馬が飛び越える度に、トウヒの枝の先がボトボトとターフに落ちて行きます。相当の幅と高さ(137㎝~213㎝)を備えた障害物ですから、ひとつひとつを超えていく度に、かなりの体力を消耗すると思われます。
 トウヒは、我が国では海抜1500m位の高山エリアに育つのですが、イギリス・リバプール辺りは、相応に平均気温が低いということでしょうか。

 このレースの出走頭数は、毎年ほぼ40頭です。バリアー式スタート*のため、フルゲートという概念は無いのですが、コースの幅や安全性を考慮しているのでしょうか、近時は40頭を出走馬数の上限としていて(過去最多出走は、1929年の66頭)、毎年40頭位になるという形。2005年の一次登録が152頭に上ったそうですから、馬主の皆さんにとってもとても人気があるレースということになります。(*スタートラインに紐を張り、スタート間近になると、紐の後ろに出走馬が集まってきて、紐が上方に上がることで発馬となるスタート方式。第一回日本ダービーの映像などで見ることが出来ます。日本では、1960年頃まで採用されていました。現在のスタート方式は、ゲート式です。)

 その40頭の出走馬の中で、ゴールインするのは、年によっては10頭未満、20頭以上ゴールインする年は完走率が高い年ということになりますので、過酷なレースです。(最少完走頭数は、1928年の2頭。最多完走頭数は、1984年の23頭。)

 負担重量は、ハンディキャップ戦です。最も重い斤量ともなると76㎏を超えますので、これも大変な負担です。走破タイムは馬場状態などの関係で、年により幅がありますが、今年のレースは9分5秒でした。2002年以降は、10分を切るタイムとなっています。

 こうしたレースですので、観客側からすると、落馬や競走中止、カラ馬(騎手が落ちた後、馬だけが走っている状態)による様々なトラブルの発生など、ある意味では確かに面白いのですが、私はへとへとになっても走り続ける馬達を観ると、大変なレースだと、いつも感じます。

 さて、この長い歴史と伝統を誇り、イギリスで最も人気の高いレースに、日本馬としてただ一頭出走したのが、本稿で採り上げるフジノオーです。

 フジノオー号、父ブリッカバック、母ベルノート、母の父ミドストリーム。生涯成績79戦25勝、内ヨーロッパで16戦2勝。お父さんのブリッカバックの父は名馬ウォーアドミラル(アメリカ競馬史上4頭目の三冠馬)、その父はアメリカ競馬史上最高の馬といわれるマンノウオーです。従って、フジノオーは血統上マンノウオー系になります。
 ブリッカバックは、我が国では障害レースの重賞勝ち馬を多数輩出しました。

 1962年、3歳の1月に遅いデビューをしたフジノオーは、平地では15戦1勝と良い成績を残せませんでした。陣営は、血統面から障害競走に活路を見出すべく、3歳秋に早々と障害レースに転向。1963年・4歳の正月競走で、障害3戦目にして障害初勝利。
 4歳秋の中山大障害に駒を進めました。イギリスのグランドナショナル競走に範を取った、我が国最高の障害競走である中山大障害競走は、この頃は春と秋、年に二回実施されていました。この秋10月のレースにフジノオーは臨んだわけです。
 実は、フジノオーは、1963年春の中山大障害にも出走していましたが途中で落馬、カラ馬のままゴールインしていましたので、秋のレースでは最低人気でした。しかし、ゴール前で一番人気のタカライジンを交わして優勝しました。

 ここからフジノオーの中山大障害の連勝が始まります。1964年の春・秋、1965年の春と連勝、中山大障害4連覇の偉業を達成しました。そして、5連覇を目指した1965年の秋のレースは、68㎏の酷量を背負ったフジノオーは、54㎏の斤量のミスハツクモの2着と敗れました。
 中山大障害は、1勝する度に斤量が+2㎏というレースでしたし、フジノオー自身も国内には出走するレースが無くなってしまいました。

 こうした状況のフジノオーは、1966年イギリスジョッキークラブから招待を受けましたので、イギリス遠征に臨むこととなりました。
 しかし、招待とはいっても、現在のジャパンカップのような招待ではなく、移動費用等は全て馬主持ちでしたし、伝染病ほかの検査期間も長かったので、イギリスに到着したのは、その年のグランドナショナル競走の2か月前になってしまいました。
 長い移動期間中に肩の故障を発症した上に、時間が無い中での調教と、回避の噂も流れましたが、何とか出走できる状態になったので、グランドナショナルの9日前のレースで一叩きすることとしました。ここで、さらにフジノオーを待ち受けていたのは負担重量でした。
 日本の大レースを4連覇していたこともあったのか、トップハンデの79.4㎏(12ストーンと1/2)を背負わされたフジノオーは、この調整のためのレースで12頭中の6着に敗れました。とはいえ、見ず知らずの土地にへとへとになって辿りつき、背負ったこともない斤量を負わされた中では、私は大健闘だと思います。

 そして、1966年3月の第120回グランドナショナル競走に出走します。このレースでも76.2㎏(12ストーン)のトップハンデ(グランドナショナル競走の上限ハンデ)でした。イギリスのレースでの実績が無いという理由(イギリスで3回以上のレース経験が無い馬は、上限ハンデというルール)とはいえ、あまりに酷量だと思いました。

 このレースは、日本でも録画でテレビ放送されました。私も、白黒画面に見入りました。全部で30個ある障害の中でも、6~9番目(2周目の22番目~25番目)と15番目(1回だけ飛越)の障害は特に難度が高い障害とされていました。フジノオーは、6~9番の障害を見事にクリアしました。さすがに飛越が上手いことで有名な馬でしたので、日本では見たこともないような大きさの障害を何とかクリアしていったのです。(相当大変そうに越えていました)
 しかし、15番目の障害「ザ・チェア」(難しい障害には、個々に名前が付いています)を前にして、フジノオーは立ち止まりました。ザ・チェアは、丁度1周目を終えて2周目に入るところに設置されている障害です。立ち止まり、左に向いて歩いていたと記憶しています。再度トライする様子は全くありませんでした。
 このレースは、47頭が出走し、完走は12頭でした。

 この後、フジノオーはドーバー海峡を渡りフランスの障害競走に出走し続け、1967年に重賞2勝の成績で引退しました。フジノオーが日本に帰ってきたのは、1967年の12月でした。

 フジノオーは何故15番目の障害で、競走を中止したのでしょう。当時は、酷量と厳しい障害、そして10日間で2回のレースという疲労残りかな、と思いましたが、今考えると少し違うのではないかと思います。

 「フジノオーがゴール位置を勘違いしていたこと」が原因ではないかと思うのです。グランドナショナル競走は、1周目の14番目の障害(2周目の通算30番目の障害)を越えるとゴールです。
 1周目の14番目の障害を越えると、右側に走路が広がり、ゴールが見えるのです。フジノオーは、14番目の障害を越えて、ゴールに向かって走るつもりだった。ところが、騎手は左に行けと指示します。そこには、15番目の障害が待っていたのです。14番目の障害でも、既に3500m以上走っています。
 利口な馬は、コースを憶えるといわれますが、フジノオーもレース前にコースを憶えたのでしょう。そして、1周を走るつもりでスタートしたのでしょう。

 もちろん、検疫のためアメリカ経由でイギリスに入り、途中で肩を痛め、ようやく走れるようになったら酷量を背負わされてしまい、疲労困憊で本番に臨んでいたことも、遠因なのでしょうが、最も大きな理由は、フジノオーが利口な馬で、1周のレースと思い込んでいたことのように思うのです。

 疲労が取れた翌年には、フランスの障害レースで堂々と2勝しています。もう一度グランドナショナルにトライしていたら、おそらく完走していたように思います。

 欧州の平場レースで日本の競走馬が好成績を挙げたのは、フジノオーがフランスで優勝してから、30年以上後のことです。1998年のシーキングザパールとタイキシャトルの活躍を待たなくてはなりません。

 フジノオーは、欧州で最初に輝いた日本馬でした。決して忘れてはならない名馬だと思います。
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第120回グランドナショナル   フジノオー   中山大障害  
Comment
26
現地での競争実績の無い馬に酷量を当てるとは無体です。
ヘトヘトで気力が失せたとしても仕方がないですね。
先輩のグランドマーチスも完走は難しかったんだろうね。

28
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りです。
そういった状況でも、挑戦したフジノオーと関係者の皆さんの
ご努力には頭が下がります。

これからも、コメントよろしくお願いします。

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