FC2ブログ
HOME   »   競馬  »  [競馬コラム236] 不平等条約改正と天皇賞 そして「平成の天覧競馬」
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 1868年に発足した明治新政府が対応しなければならない課題は山積していましたが、中でも欧米諸国等と徳川幕府が締結した不平等条約の撤廃・改正は、最も重要な課題のひとつでした。

 所謂国際社会や国際法についての知識が、日本側に不足していた江戸時代に結んだ条約は、相手国にとってとても有利な内容になっていたのです。
 欧米列強に追い付け・追い越せという目標実現のためには、不平等条約への対応は不可欠のものでした。

 とはいえ、「日本という国は立派な国に成ったので条約を改正してください」と申し入れたとしても、相手国が直ぐに「分かりました」と言う筈も無く、取組は難航を極めました。
 そもそも、自分に有利な条約は、できることなら永続したいと考えるのは当然のことでしょう。

 こうした状況下、日本政府としては「日本が急速に欧化している」ことを示し、近代国家となったことをアピールする必要がありましたから、東京・日比谷に「鹿鳴館」という会館を造り、毎日のように各国の大使等を招待してパーティなどを開催しました。
 参加する日本人は、いずれも洋服というかパーティドレスを身に纏い、ダンスを行ったり、欧米の人達と会話を楽しんだりしました。日本の近代化を明示しようとしたのです。

 海外に使節団を送り、相手国で条約改正の申入れを行うとともに、国内ではこうした取組によって、我が国が「平等な条約を締結するに相応しい国」であることをアピールし続けたのでしょう。

 そうした取組の一環として、根岸競馬場におけるロビー活動が有りました。

 横浜山手の外国人居留地に根岸競馬場(後の横浜競馬場)はありました。(本ブログ2013年1月27日の記事「[競馬コラム33] 根岸競馬場 日本近代競馬発祥の地」をご参照ください)
 この根岸競馬場は、来日した外国人が設立し運営していて、会頭も歴代のイギリス公使が務めていました。
 日本に赴任した欧米各国の大使館や企業の関係者にとっては、所謂「母国に置けるものと同じ競馬」を楽しむ場として、根岸競馬場の存在感・価値は、とても大きなものであったことでしょう。
 当然ながら、競馬開催日には、根岸競馬場に海外列強の要人が数多く集まりました。

 こちらから出向くまでも無く、数多くの外国要人が集まっている根岸競馬場が「外交交渉の場」として、とても貴重なものであったことは言うまでも無いことで、日本政府もこれを大いに活用したのです。
 明治天皇も外交官や外務担当政治家を連れて、頻繁に足を運んだと言われています。

 ご承知のように、サラブレッドの母国イギリスでは、王室と競馬との係わりはとても深く、現在でも「ロイヤル・アスコット」は王室主催の大イベントですし、エリザベス女王の所有馬が大レースに出走することがあれば、大きなニュースとして報じられます。
 
 根岸競馬場に頻繁に足を運んでいた明治帝は、明治13年(1880年)に競馬場に豪華な花器を下賜しました。
 この花器(金銀銅象嵌銅製花瓶一対)を賞品として、日本レースクラブによる初めてのレース「The Mikado’s Vase Race」が1880年の春に開催されたのです。それまで、根岸競馬場で開催されたレースは全て外国人主催でしたので、まさに記念すべきレースであったと思います。

 私は勝手に、この1880年春のレースが実質的な「第1回天皇賞」であったと考えています。

 さて、明治30年代に入ると、イギリスとの条約改正を始めとして、各国との不平等条約改正が一気に進みました。
 前述のような各種の取組の成果とも言えるのでしょうが、何より、農業、鉱工業、商業等の産業の勃興・成長による国力増大が最大の要因でしょう。国民一人一人の頑張りが、日本を「対等の条約を締結するに相応しい国、対等の条約を締結することが相手国の利益に結びつく国」に引き上げたのであろうと思います。

 この頃の日本は、イギリスと密接な関係にありました。
 明治35年(1902年)には日英同盟が結ばれ、イギリスは明治37年(1904年)から始まった日露戦争における大きな後ろ盾となりました。
 さらに、日露戦争で日本の軍馬の質・量両面からの劣後が明らかになると、日本軍部は日英同盟を拠り所としてイギリスに優秀な軍馬の大量輸入を依頼しました。これにイギリスが応え、英連邦に属し日本に近く、馬産地であったオーストラリアから3,700頭を日本に輸出したのです。
 日本の軍部は、体格面で日本在来の馬を圧倒する、オーストラリアからの輸入馬を、そのまま軍馬として使用することは無く、日本国内の馬の改良のために1頭200円で民間に払い下げたと伝えられています。将来を見据えた施策でしょう。
 この時の3,700頭が、我が国の馬の改良に大きな力となったことは間違いありません。

 こうした日本とイギリスの親密な外交関係において大きな役割を果たしたのが、当時の駐日イギリス公使(後に全権大使)であったクロード・マクドナルドでした。
 当時、横浜競馬場会頭も兼務していたマクドナルド公使は、明治天皇とも親しかったとされており、明治天皇から贈られた「盃」を賞品として、明治38年(1905年)5月6日「The Emperor’s Cup(エンペラーズカップ)」を創設しました。以降、横浜競馬場では毎年、このレースに明治天皇から商品が下賜されることとなったのです。
 「毎年」という点がとても重要で、JRAでは「エンペラーズカップ」を天皇賞の前身としています。

 この「The Emperor’s Cup」と言う英語呼称が色々な形で和訳され、最終的には「帝室御章典」に統一されて、横浜競馬場だけでは無く、東京競馬場や鳴尾競馬場(後の阪神競馬場)、そして馬産地である福島、札幌、函館、小倉の各地においても「帝室御章典」競走が拡大実施されたのです。

 年2回開催の競馬場もあり、7つの競馬倶楽部による帝室御章典が「年10回開催」体制となって、それが統合されながら、昭和12年(1937年)に天皇賞が創設され、太平洋戦争を経、1984年からは秋の天皇賞の距離が3,200mから2,000mに短縮されて、現在のような「天皇賞(春)(秋)の形」が出来あがったことは、皆様ご承知の通りです。

 ところで、明治天皇は明治32年(1899年)までは、横浜競馬場に足繁く巡幸されたのですが、不平等条約改正が進むと、以後は一切競馬場に行かなくなりました。
 いろいろな理由が有るのでしょうが、「きっぱり」という感じもします。

 この後、帝室御章典が全国に拡大するのですけれども、いわゆる「天覧競馬」は全く行われなくなったのです。
 少し不思議な感じもします。

 大正天皇、昭和天皇も競馬場に巡幸されることはありませんでした。

 そして平成17年(2005年)の天皇賞(秋)、第132回天皇賞において、平成天皇が106年振りに競馬場に姿を現したのです。「天覧競馬」の復活であり、史上初の「天覧天皇賞」でもありました。

 競馬が「日本社会における健全な娯楽として定着した」との判断が有ったのかどうか、「復活」の理由は分かりませんけれども、「天皇賞レースを天皇陛下が観戦する」という、ごく自然なことが、史上初めて実現した瞬間でした。

 このレースは、5歳牝馬のヘヴンリーロマンスが、大豪ゼンノロブロイ(5歳牡馬、前年の優勝馬)をアタマ差抑えて優勝しています。上がりの競馬における凄まじい競り合いでした。
 レース後、ヘヴンリーロマンスの鞍上・松永幹夫騎手は、天皇皇后両陛下がご覧になられているメモリアルスタンド前で、ヘルメットを取って、馬上から深々と一礼をしました。
 大きなニュースとなったこの一礼も、日本競馬史上初のものということになります。

 そして7年後の平成24年(2012年)、第146回天皇賞(秋)、平成天皇は東京競馬場に2度目の巡幸を行いました。
 このレースは、直線でインを突いたエイシンフラッシュが、良く伸びて圧勝。
 レース後、両陛下がご覧になられているフジビュースタンド前に引き上げてきた、鞍上のミルコ・デムーロ騎手が、下馬してヘルメットを取り、深々と一礼したシーン、この美しいシーンは、記憶に新しいところです。

 「平成」は「天覧競馬」が復活した時代でもありました。

 「令和」時代にも、日本競馬において素晴らしいシーンが数多く生まれるよう、祈らずにはいられません。
関連記事
スポンサーサイト



NEXT Entry
[日本プロ野球2019] ノムさんが選ぶ「平成ベストナイン」
NEW Topics
[競馬コラム269] オークス2020のデアリングタクトと日本ダービー2020のコントレイル
[温故知新2020-陸上競技4] 男子走り幅跳び オリンピック金メダリストの記録
[ブンデスリーガ2019~20・第27節(無観客)] バイエルン・ミュンヘン 圧勝
[温故知新2020-女子テニス2] アメリカの英雄 ビリー・ジーン・キング選手
[競馬(無観客)] 東京優駿(日本ダービー)2020の注目馬
[温故知新2020-女子テニス1] 「史上最強」 マーガレット・コート選手
[温故知新2020-男子テニス3] ダブルスの名手 ジョン・ニューカム選手
[温故知新2020-陸上競技3] 男子10,000m オリンピック金メダリストの記録
[温故知新2020-競泳2] 男子1,500m自由形 日本チームの全盛期
[温故知新2020-競泳1] 男子100m自由形 日本チームの黄金時代
[FIFAワールドカップ2010準々決勝] ドイツチームの完勝
[温故知新2020-男子テニス2] 「史上最強」 ロッド・レーバー選手
[競馬(無観客)] 優駿牝馬(オークス)2020の注目馬
[温故知新2020-陸上競技2] 男子1,500m オリンピック金メダリストの記録
[温故知新2020-陸上競技1] 男子100m オリンピック金メダリストの記録
[ラグビーワールドカップ2011プールA] 日本チーム フランスチームを相手に65分まで4点差の健闘
[温故知新2020男子テニス-1] ウィンブルドンを勝てなかった イワン・レンドル選手
[競馬コラム268・ヴィクトリアマイル2020] 感動的なレース
[FIFAワールドカップ1986決勝] アルゼンチンチーム 2度目の優勝
[競馬(無観客)] ヴィクトリアマイル2020の注目馬
[NPB・MLB2020] 「開幕」に向けての動き
[ブンデスリーガ2019~20] 無観客での再開へ
[競馬コラム267-日本馬の海外挑戦12] 2009年 牝馬の挑戦
[FIFAワールドカップ2010ラウンド16] ブラジルチーム 貫録の勝利
[FIFAワールドカップ2010ラウンド16] 日本チーム 史上初のPK戦
[FIFAワールドカップ2010ラウンド16] ランパード選手 「幻」のゴール
[Jリーグ2020] イニエスタ選手のオンライントークショー
[競馬(無観客)] NHKマイルカップ2020の注目馬
[NBA2020] 個人トレーニング再開に向けての動き
[UEFA-EURO2012-グループD] イングランドとフランスの激突
[競馬コラム266-天皇賞(春)2020] フィエールマンの連覇とC.ルメール騎手の天皇賞4連勝
[UEFA-EURO2012-グループB] ポルトガル デンマークとの接戦を制す
[競馬コラム265・下鴨ステークス2020] スズカルパン 100戦出走達成!
[UEFA-EURO2012-グループA] 開幕戦 ギリシャチーム 驚異の粘り
[UEFA-EURO2012-グループD] フランスチームの堅守
[競馬(無観客)] 天皇賞(春)2020の注目馬
[UEFA-EURO2012-グループC] イタリアとクロアチア 一歩も引かず
[競馬コラム264-日本馬の海外挑戦11] 2007年 シンガポール競馬への進出
[UEFA-EURO2012準々決勝] クリスティアーノ・ロナウドVSチェフ
[競馬コラム263-日本馬の海外挑戦10] 2006年 ハーツクライとデルタブルース
[スーペルコパ2020準決勝] FCバルセロナ よもやの敗退
[UEFA-EURO2012準決勝] 「怪物」バロテッリ選手の2ゴール
[マラソン2020] 「心臓破りの丘」 山田敬蔵氏 逝去
[競馬コラム262-日本馬の海外挑戦-9] 2005年 ゼンノロブロイとハットトリック
[MLB2020・MVPランキング] バリー・ボンズ選手の凄さ
[フィギュアスケート2020春・世界ランキング] 羽生選手、紀平選手が共に1位
[NPB2020] 菅野智之投手 超絶の仕上がり
[高校野球2020] 花巻東高校 女子野球部が練習開始
[大相撲2020] 豊ノ島の引退
[UEFA-EURO2008決勝] スペインチーム 黄金時代の幕開け
Entry TAG
競馬コラム236・不平等条約改正と天皇賞  
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
「スポーツを考える-KaZ」ブログへ
ようこそ!
我が家の月下美人も16年目。同時に30個の花が咲くこともあります。スポーツも花盛りですね。一緒に楽しみましょう。

最新記事
最新コメント
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

Page Top
CALENDaR 123456789101112131415161718192021222324252627282930