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 ヨハン・クライフは1947年オランダ生まれのサッカー選手であり監督です。
 クライフはオランダリーグ(エールディヴィジ)の名門アヤックスで活躍し、オランダ代表チームの中心選手として世界的に有名なプレーヤーでした。

 FIFAワールドカップWCにおけるクライフ選手の活躍は、主に1974年西ドイツ大会に限られます。この大会で、クライフ率いるオランダチームは準優勝しています。これ自体も、素晴らしい実績なのですが、世界サッカー史上におけるヨハン・クライフに対する評価は、「WC準優勝1回」のプレーヤーに与えられるものより遥かに高いものです。
 サッカープレーヤーの世界ランキングにおいて常に上位にランクインしていますし、私も間違いなく世界サッカー史上ベスト3に入るプレーヤーだと思います。

 この実績と評価の段差の原因は、何なのでしょう。色々な要因があるのでしょうが、やはり「現代のサッカープレーの礎を築いた功績」が高く評価されているのだと思います。

 1974年西ドイツWC時のオランダチームのサッカーは見事なものでした。フォワード・ミッドフィールダー・ディフェンスの各ポジションのプレーヤーが有機的な繋がりを維持しながら自在に動き回ります。「ポジションが流動的」とか「全員攻撃・全員守備」とか「トータルフットボール」とか呼ばれましたが、豊富な運動量に裏打ちされた縦・横の動きとチームとしての展開は、それまでの「攻撃はフォワードの仕事」「守備はディフェンダーの仕事」という固定概念を覆すものでした。

 こうしたプレー・戦略は、現在では当たり前のことなのですが、初めて眼にした時の衝撃はとても大きなものでした。
 このトータルフットボールの中心に居たのがヨハン・クライフ選手だったのです。

 当然ながらクライフ自身も、素晴らしい運動能力を保持していました。特に、そのドリブルと相手選手を交わしていく動きは「クライフターン」と呼ばれ、クライフの前進を止めるのは容易なことではありませんでした。
 また、そのシュート能力も凄まじく、通常であれば打てない形でも、クライフはシュートし得点していました。それはもう、惚れ惚れするプレーの連続でした。
 身長175cmと決して大きくは無いクライフですが、プレーする姿はいつもとても大きく見えました。細身のシルエットと自在な動きから、クライフがピッチ上どこに居ても直ぐに分かりました。(この点は、超一流プレーヤーに共通することですけれども)

 このWCで、クライフとオランダ代表チームが優勝できなかった(決勝戦1-2で西ドイツに敗れた)のは、ある意味では不運であったとも思います。

① 決勝戦の相手が、フランツ・ベッケンバウアー率いる西ドイツチームであったこと。1972年から1974年にかけての西ドイツチームは、サッカー史上最強チームの候補に挙げられるチームでした。加えて、地元だったのです。極めて強力なチームが、地元で戦う利まで得ていたのです。

② 決勝戦の開始早々、ペナルティーエリア内でクライフが倒され、オランダチームはPKを得ます。これを決めて、あっという間に先取得点を挙げました。この試合開始1分の1得点が、逆にオランダチームの動きを悪くしてしまったのだろうと思います。
 WC優勝経験が無いオランダチームでしたから「このまま守り切れば勝てる」という気持ちが、各プレーヤーの深層心理の中に芽生えたのではないでしょうか。準決勝まで観られていた「トータルフットボール」が影を潜め、オランダチームのディフェンダー・ミッドフィルダーは、自らのポジションを維持し、全体として守備的になったのです。

 このPKの1点が無ければ、オランダチームはもっと多くの得点を上げ、最強の西ドイツチームを破っていたかもしれません。
 クライフ選手自身も、西ドイツのディフェンダーであるベルティ・フォクツ選手の徹底したマークに合い、良いプレーが出来ませんでしたが、これも「トータルフットボール」が機能していれば、球離れを速くするなどして解消できていた筈ですので、このゲームは全体としてオランダチームの動きが悪かったということでしょう。

 一方、ゲームを通じて一瞬のスキも無くクライフに纏わり付き続けたフォクツの働きは、ディフェンダーの鏡とも言えるものでした。もともと良いディフェンダーでしたが、このゲームを経てベルティ・フォクツの名は不動のものとなったのです。

 それにしても、ヨハン・クライフを中心として、ヨハン・ニースケンス、ロブ・レンセンブルグ、ルート・クロル、アリー・ハーン、ロニー・レップ、ウィレム・ハネヘル、ビム・ヤンセンらのプレーヤーを擁するオランダチームと、フランツ・ベッケンバウアーを中心として、ゲルト・ミュラー、パウル・ブライトナー、ヴォルフガング・オフェラート、ベルティ・フォクツ、ゼップ・マイアーらのプレーヤーを擁する西ドイツチームが激突した、1974年WC決勝戦はサッカー史に残る好勝負でした。

 プレーヤーとして、アヤックスにおいて240試合に出場し190得点、オランダ代表チームでは48試合に出場し33得点を挙げたクライフは、その後スペインのFCバルセロナでのプレーを経て、アメリカプロサッカーの創世期に参画し、1984年に現役を引退しました。終盤の数年は、やや付け足しの感じで、プレーヤーとしては1977年の代表チーム引退が節目であったと思います。

 現役を引退したクライフは、1985年にアヤックスの監督に就任、そして1988年から1996年までの8年間をFCバルセロナの監督として過ごしました。このFCバルセロナの監督時代が、ヨハン・クライフのセカンド・ステージであったと思います。

 国内リーグ戦で3年連続優勝から遠ざかり、1987~88年シーズンは内紛もあって6位という不本意な成績であったFCバルセロナの再建を託され、1990年からの4連覇という偉業を達成しました。
 レアル・マドリードに押され気味であったFCバルセロナの「中興の祖」だったのです。

 伝統的に守備的なチームであったFCバルセロナ(今では想像も出来ませんが)を攻撃的なチームに変えたのです。現在の「バルセロナのパスサッカー」の基礎を造ったのが、クライフ監督でした。

 クライフ率いるFCバルセロナは「エル・ドリーム・チーム」と呼ばれました。現在では4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を誇るFCバルセロナですが、このエル・ドリーム・チームの1991~1992年シーズンにおける制覇が初めででした。クライフ監督は、FCバルセロナを「スペインの強豪チームから世界の強豪チームに引き上げた」のです。

 ちなみに2008~2012年にFCバルセロナの黄金時代を築いたジョゼップ・グアルディオラ監督は、このエル・ドリーム・チームの一員としてプレーしていました。クライフの攻撃サッカーの伝統が受け継がれてきたのでしょう。

 プレーヤーとして世界のサッカーを変革し、監督としてFCバルセロナのサッカーを変革した、ヨハン・クライフ。
 「フライング・ダッチマン(空飛ぶオランダ人)」とも呼ばれましたが、元々「フライング・ダッチマン」という言葉は「さまよえるオランダ人」の意で、アフリカの喜望峰周辺に出没する幽霊船の船長をイギリスの船乗りが怖がって名付けたものだったのです。ワーグナーのオペラや映画パイレーツ・オブ・カリビアンでも幽霊船関連で登場しています。

 不吉な呼び名だったものが、アメリカにおいて「空飛ぶオランダ人」と意訳され、クライフ選手の天翔るプレーを観て、尊称とされました。クライフ以降、各界で活躍するオランダ人を褒め称える言葉としても「フライング・ダッチマン」は使われています。

 ヨハン・クライフは「言葉の意味」さえ変えてしまいました。

 世界サッカー史上に燦然と輝く巨星です。
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