HOME   »  
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
[8月8日・男子800m決勝]
1位 ボス 1分44秒67
2位 クチョット 1分44秒95
3位 ベット 1分45秒21

 フランスのボス選手の見事なレース運びでした。

 1周目を50秒台という、勝負優先になりやすい世界大会の決勝レースとしては速いペースで通過した2周目の第2コーナーから一気にスピードを上げて、前を行くランナーを抜き去り、第3コーナーで先頭に立ちました。

 こうしたレースの進め方の、良いところは自分のペースでレースを運べること、所謂「自力勝負」に持ち込めることですが、難しいところは「ラスト30mの走り」で、早めに力を使っているために、ゴール前の走りがどうしても苦しいものになり、スピードが落ちて、逆転を許すこともある点です。

 2コーナーから3コーナーにかけて、500m~600mの加速で、ボス選手は2番手のランナーに1~2mの差を付けましたけれども、大きな差とは言えませんでしたので、最後の直線の競り合いが注目されました。
 
 ボス選手は第4コーナーから直線半ばまで、700m~750mで再び加速したように観えました。ここが最も素晴らしいところでしょう。
 1.5m前後の差を維持したまま、残り50メートルまで来たのです。

 さすがに、残り30mからはいっぱいいっぱいの走りでしたが、追い上げてきていたクチョット選手やベット選手にも余力は無く、ボス選手が押し切りました。

 近時のオリンピックや世界選手権では、4コーナーから直線にかけての競り合いが多かったと思いますけれども、2コーナーから3コーナーの走りで勝負の形を作るという、「古くて新しい戦法」が見事に決まったのです。

 このレースを観ていて、かの瀬古利彦選手の高校生時代の800m・1500m競走のレースを思い出しました。
 高校生時代の瀬古選手は800m・1500mを得意としていたのです。そして、必ずと言って良いほど、2周目の第2コーナーから加速して2番手以降を引き離し、ラストの直線で粘るという走りを魅せてくれました。
 今から40年以上前の話です。

 最後の直線のスプリント勝負では、アフリカ勢といった他のランナーに比べて、やや分が悪いと考えたのでしょうか、ボス選手は果敢な作戦で勝負したのです。

 フランス人ランナーが世界選手権の800mで優勝したのは史上初めてと報じられました。

 ボス選手は、フランス陸上競技界の新たな歴史となったのです。
[8月5日・男子走り幅跳び・決勝]
1位 マニョンガ 8m48cm
2位 ローソン 8m44cm
3位 サマーイ 8m32cm
4位 メンコフ 8m27cm
5位 マッソ 8m26cm
6位 石 8m23cm
7位 王 8m23cm
8位 トーネウス 8m18cm
9位 ラサ 8m11cm
10位 ジュスカ 8m02cm

 大接戦でした。そして、とてもハイレベルな試合でした。

① 10位まで8m越え

 いかに世界最高レベルの大会とはいえ、10名ものジャンパーが「8m越え」を見せるゲームは、滅多にありません。

 たまたま、各選手のコンディショニングが上手く行ったとうよりも、全体のレベルが上がったと観るべきなのではないでしょうか。

② 完成されたジャンプは少なかった。

 優勝したマニョンガ選手の大らかで高く上がるジャンプ、2位のローソン選手のスピード溢れる助走からの力強いジャンプ、3位のサマーイ選手の合理的なジャンプ、それぞれのプレーヤーが持ち味を発揮したゲームでしたが、3名とも自分の持てる力を存分に発揮したようには見えませんでした。

 いずれのジャンプも、バランスを崩したり、タイミングが僅かに合わなかったりしていたのです。
 3名のメダリストは、各々のイメージ通りのジャンプが出来れば「+50cm」の記録が可能だったのではないかと感じます。

 8m20cmを超えるジャンプを魅せてもメダルに遠く及ばない、高いレベルの試合となった、世界選手権陸上競技大会2017の男子走り幅跳び種目は、次の大会での大ジャンプを十分に予感させるものであったと思います。
 種目全体として「大きなマグマの蓄積」を感じるのです。

 1991年、東京における世界選手権大会で樹立され、以降26年間不動の、マイク・パウエル選手の8m95cmという「長寿世界記録」が破られる瞬間が、迫っているのかもしれません。
 サッカー競技においては、数々の伝説的なプレーヤーが存在します。

 「伝説のプレーヤー」は、いわゆるサッカー強豪国において、ファンの間で、現在も語り継がれている名プレーヤーを採り上げるシリーズです。

 第1回は、ウルグアイの「元帥」、ホセ・ナサシ選手です。

 ワールドカップ優勝2回を誇るサッカー大国・ウルグアイにおいても、史上最高のプレーヤーではないかと思います。

 ホセ・ナサシは1901年に生まれて1968年に67歳で死去しています。

 ポジションはフルバック。20世紀の後半まで、ゴール前の最後の守備の砦となるプレーヤーは「フルバック」と呼ばれていました。
 近時は「センターバック」と呼ばれることが一般的です。フルバックがセンターバックになったのは何時ごろなのか、これも興味深いテーマですが、今回はナサシ選手の記事ですから、話を戻しましょう。

 ホセ・ナサシ選手は、ウルグアイ代表チームのキャプテンとして大活躍しました。
 これはもう「大活躍」と呼ぶしかない程の活躍で、ホセ・ナサシ選手以上に世界的な大会で活躍したプレーヤーを挙げるのは、とても困難でしょう。

① オリンピックで2回優勝

 1924年のパリ・オリンピックと1928年のアムステルダム・オリンピックで、ウルグアイに金メダルを齎しています。
 ウルグアイ代表チームは、間違いなく、この時代の世界最強のナショナルチームだったのです。

② 第1回ワールドカップ優勝

 長いワールドカップの歴史は、1930年に始まります。
 この第1回大会に優勝したのはウルグアイチームでした。
 この大会は自国開催でした。
 自国開催のワールドカップの決勝で、アルゼンチン代表チームを4-2で破り優勝を決めたのです。

 この優勝はもちろん素晴らしいことですけれども、何より「第1回ワールドカップがウルグアイで開催されたこと」が凄いことだと思います。

 文字通り、この頃「ウルグアイは世界サッカーの中心地」だったのです。

③ 南米選手権に4回優勝

 ホセ・ナサシ選手は、1923年、1924年、1926年、1935年と4回の南米選手権大会に優勝しています。
 プレーヤーとして1回優勝することさえ難しい南米選手権に4回も優勝しているのです。

 「元帥」ホセ・ナサシは、ワールドカップ、オリンピック、南米選手権で計7回優勝しています。

 サッカー競技が、現在ほどには世界中に普及していなかった時代とはいえ、これは驚異的なことであり、ワールドカップ、オリンピック、欧州選手権、南米選手権という、世界トップクラスの4つの大会で7回優勝という記録を超えるプレーヤーは、私には思い当りません。

 ホセ・ナサシ選手の身長は182cmと伝えられています。
 当時としては、相当大きなプレーヤーだったことでしょう。

 ウルグアイゴール前に「仁王立ち」するナサシ選手の姿が、眼に浮かびます。
 ビッグトーナメントが開催されている時のファイアーストーン・カントリークラブで61打、というのは物凄いスコアです。
 それが最終日のプレーともなれば尚更でしょう。
 7400ヤード・パー70という数字を見るまでも無く、距離十分のセッティングに加えて、高速グリーンと難しいラフという、まさに「難関コース」なのです。

 8月3日~6日にかけて行われた、世界ゴルフ選手権大会WGC「ブリヂストン招待」の舞台は、ファイアーストーンCCでした。
 WGCは、メジャートーナメントに次ぐ高いフィールドの大会です。ファイアーストーンCCは、その舞台に相応しいコースなのです。

 そして松山英樹選手は、そのコースで最終日に61打をマークして、圧勝したのです。

 2番ホール・パー5でイーグルを奪ったのを皮切りに、7つのバーディを重ねて、前半30打、後半31打の61打、4日間通算16アンダーパー、2位のザック・ジョンソン選手に5打差を付けての勝利でした。

 15番ホールを終えて13アンダーとし、2位に2打差を付けた時、松山選手の表情には自信が溢れていました。
 「考えた通りのラウンドが出来ている」ことを実感していたのでしょう。

 16番・パー5、17番・パー4・18番・パー4を3連続バーディで締めくくったのです。

 18番のバーディパットは、難しい下りの3mでしたが、これをきっちりと沈めました。
 パッティングの調子もとても良かったのでしょう。

 4年前、21歳の時に松山選手はタイガー・ウッズ選手と同組でファイアーストーンCCをプレーしました。
 そして、その時ウッズ選手は61打でラウンドしたのです。
 ラウンド後、松山選手は「大人と子供の差がある」とコメントしていました。

 今大会の最終日、松山選手はそのタイガー・ウッズ選手のスコアに並んだのです。

 強い時の松山英樹は、尋常ではない。
 今や世界最強のゴルファーなのかもしれません。
[8月5日・男子100m決勝]
1着 ジャスティン・ガトリン 9秒92
2着 クリスチャン・コールマン 9秒94
3着 ウサイン・ボルト 9秒95
4着 ヨハン・ブレーク 9秒99
5着 アケニ・シンビネ 10秒01
6着 ジミー・ビコ 10秒08

 大会前から「ラストラン」を公言していたウサイン・ボルト選手でしたが、優勝はできませんでした。

 スタートはコールマン選手が先行、これを隣のコースのボルト選手が追いかける展開でしたが、外コースのガトリン選手が70mを過ぎてから「スピードを維持」して順位を上げました。
 そして、コールマン、ボルトの両選手を捉えたところがゴールでした。

 12年振りの世界大会金メダルに輝いたガトリン選手ですが、後半のスピード維持という、自身にとっての「新しい技術」をものにしていたところが素晴らしい。
 ほんの僅かですが、後半の走りにおける前傾が深かった、その深い前傾をキープしながらストライドを保つ、というランニングであったように感じます。

 ボルト選手について観れば、今大会はコンディションが整わなかったというところでしょうか。
 予選・準決勝といまひとつスピードに乗り切れない走りが続きました。

 「今回はギリギリだな」と感じていましたが、決勝でも乗り切れない走りとなりました。

 これだけ大きな体躯を保持するスプリンターが、これだけ長い間世界のトップで走り続けて来たのですから、体のあちこちに不具合が発生していたであろうことは容易に予想できます。
 そうした状況下、これまではオリンピックと世界選手権ではしっかりとコンディションを整えて来たのですけれども、さすがに今回は間に合わなかったのでしょう。

 具体的には、「ピッチが少し上がらなかった」のではないかと思います。
 ウサイン・ボルト選手の走りは、「着地した足が長くトラックに留まる」ところが特徴だと思いますが、今回はいつもにも増して「長く留まっていた印象」です。

 爪先で着地した後、次の前進に向けて圧倒的な筋力でトラックを押す走りと動きが、少し時間がかかっていたのです。そして「押す筋力」も衰えていたのでしょう。

 本来なら「出場できないレベル」のコンディションだったのではないかと思いますが、ボルト選手は出場して来てくれました。

 「位置に付いて」の時、テレビ画面にボルト選手の横顔が大写しになりました。

 これまでの世界大会のレースとは異なり、表情には「余裕が無く」、「良い走りをして勝ちたい」という気持ちが表れていたと感じました。今回は「ギリギリだ」ということを、ボルト選手も肌で感じていたのでしょう。

 そして隣のコールマン選手を必死に追ったのです。

 ゴールテープ(見えませんが)に必死に体を倒し込むボルト選手というのも、滅多に観られるものではありません。

 「全力」の走りを魅せていただきました。

 良い「ラストラン」でした。

 ボルト選手は自らの100.m競走を「走り切った」のです。
 8月7日に開幕する第99回全国高等学校野球選手権大会の組合せ抽選会が8月4日に行われ、各チームの緒戦の相手が決まりました。

 毎年のことですが、注目校同士の組合せが今大会でもいくつか観られます。

 第2日の第1試合は、作新学院と盛岡大付の対戦となりました。昨年の優勝校と今年のセンバツ大会の上位進出校の対戦です。

 第4日は好カードが目白押しです。
 第1試合は、広陵VS中京大中京。伝統校同士の戦いです。共に「出て来れば強い」という、甲子園で力を発揮するチームですので、好ゲームとなるのは必定です。
 第2試合は、横浜VS秀岳館。
 常に優勝候補に名を連ねる横浜と、甲子園3大会連続ベスト4の秀岳館の戦いは、点の取り合いとなることでしょう。自分達の得点チャンスをより多くものにしたチームに勝利の女神が微笑みそうです。
 第3試合は、興南VS智弁和歌山。
 やはり「出て来れば強い」興南と甲子園の常連・智弁和歌山の戦いです。智弁和歌山の投手陣が興南打線をどこまで抑えられるかがポイントとなります。

 第4日の第4試合には大阪桐蔭が登場します。
 強豪校とされているチームの多くが4日目に集まったことは、優勝争いにも大きな影響を与えます。準々決勝以降は再び抽選が行われる夏の大会とはいえ、2回戦までは最初の抽選に従って進められるのですから。

 さて、注目の10チームです。

① 大阪桐蔭
② 中京大中京
③ 作新学院
④ 前橋育英
⑤ 東海大菅生
⑥ 神戸国際大付
⑦ 二松学舎大付
⑧ 京都成章
⑨ 仙台育英
⑩ 花咲徳栄

 ベスト8が決まる8つの山から各々1チームずつを選定し、残り2校は1回戦から登場するチームの中から選びました。
 今回は、以上の10チームに注目します。

 近年の甲子園大会は実力が拮抗していますから、他にも実力校は数多くあります。
 緒戦から眼の離せない試合の連続となることでしょう。

 球児の皆さんの思い切りの良いプレーに期待します。
[7月29日・東東京大会決勝]
二松学舎大付属9-1東海大高輪台

[7月29日・神奈川大会決勝]
横浜9-3東海大相模

[7月29日・愛知大会決勝]
中京大中京9-1栄徳

[7月30日・西東京大会決勝]
東海大菅生6-2早稲田実

[7月30日・大阪大会決勝]
大阪桐蔭10-8大冠

 夏の甲子園2017の地方大会も終盤となった7月29日と30日に、東京・横浜・大阪・名古屋の所謂大都市地域の代表が決まりました。
 最近10年・10回の夏の大会では、この4大都市圏から6回優勝校が出ていますから、本大会を占う意味でも、大事な試合が続きました。

① 接戦が多かった印象

 大阪大会決勝では、8回裏に大阪桐蔭高校が一挙に5点を挙げて10-4とリードしました。
 大冠高校が先行し、大阪桐蔭が逆転した形ですが、さすがに8回裏の5点で勝負ありと観えたのですが、9回表に大冠が猛反撃を見せて4点を挙げ追いすがったのです。
 まさに大接戦でしょう。

 神奈川大会や西東京大会のように、結果として得失点差が大きかった試合でも、内容は「互角」という試合も多かったと感じます。

 やはり、「強力な先発投手」が少なかったことが要因かとも感じます。
 打たせて取るタイプ、粘り強く投げ続けるタイプの投手が多かったのです。
 
② 中京大中京高校の強さ

 そうした中で、愛知大会決勝の中京大中京は文字通りの圧勝でした。

 「出てくれば強い」中京高校は、今大会の優勝候補筆頭かもしれません。


③ 名門校の勝ち上がり

 接戦が多かったとはいえ、4大都市圏の代表チームは、いずれも「日本中に名前が知られている」、甲子園大会の名門校・常連校となりました。

 苦しみながらも、名門校の意地を見せてくれたということでしょうか。

 各チームの皆さんの健闘が期待されます。
 7月29日、前WBA世界スーパーフェザー級チャンピオン・内山高志選手が引退を発表しました。

 昨年4月、「よもやの」KO負けを喫し、その動向が注目されていましたが、ついにその姿を、再びリング上で観ることは叶いませんでした。

 本当に強いボクサーでした。
 
 日本人ボクサーとして初めての「スーパー王者」です。

 「スーパー王者」とは、WBAが2001年1月から導入した制度で、世界チャンピオンの中のチャンピオン、議論の余地のないチャンピオン、統一王者、等々様々な呼び名がありますけれども、世界チャンピオンの中でも「比類無き強さ」を誇るボクサーにのみ与えられる称号であることは、間違いないところでしょう。

 王座在位6年3ヵ月、世界タイトルマッチ通算10ノックアウト勝ちは、いずれも日本ボクシング史上最高の記録です。

 そのパンチの破壊力は凄まじく、その「重さ」と様々な角度から繰り出される様子から、あのロベルト・デュラン選手、「石の拳(こぶし)」と称されたデュラン選手のパンチに通じるものがあると感じます。

 そして、決して格好をつけることがなく、整斉と「ボクサー」としての行動を続ける姿は、まさに「チャンピオン」と呼ぶに相応しいものでした。

 「恐れず、おごらず、侮らず」・・・。内山選手がボクシングを始めた、埼玉・花咲徳栄高校ボクシング部の部訓が座右の銘であったと報じられています。まさに、この言葉通りのアスリートだったのです。

 ボクシングマスコミの関係者が取材に行くと、「ありがとうございました。また、よろしくお願いします」と頭を下げられて何度も恐縮した、との報道もあります。
 日本初のスーパー王者にして、誰もが尊敬するボクサーであった内山高志選手が、こうした振る舞いをするのです。「謙虚」といった言葉では片づけられない、崇高なものを感じるのは、私だけではないでしょう。

 「チャンピオンの中のチャンピオン」内山高志が引退します。

 いつかジムをやりたい、ともコメントしています。

 ただ強いだけでは無い、素晴らしい選手、内山高志のようなボクサーを、ひとりでも多く育てていただきたいと思います。
[7月26日・高知大会決勝]
明徳義塾7-3梼原

 明徳義塾高校が4回裏の集中打で4点を挙げてリードを広げ、梼原高校の追い上げを凌いで高知大会を制しました。

 明徳義塾は2010年から8年連続の甲子園大会出場を決めたのです。

 明徳は、これまで2度「7年連続出場」を果たしてきました。
 第80回大会から86回大会までの7年連続と、第92回から98回までの7年連続です。そして、第99回大会にも出場することとなり、8年連続の記録を達成したのです。

 1回目の7年連続の時には、第84回大会で全国制覇を成し遂げました。
 2回目の7年連続(こちらは8年連続になりましたが)では、本大会でベスト4が2度あります。
 いずれにしても、好成績を収めているわけですが、第99回・2017年は、久しぶりの決勝進出・優勝を狙う大会となるのでしょう。

 それにしても、聖光学院の11年連続、明徳義塾の8年連続、作新学院の7年連続と、
 2017年の夏の甲子園大会は連続出場、それも歴史に残る長い連続出場が多い大会となっています。
 
 どのチームにとっても、「各地方の絶対王者」としての甲子園球場における戦い振りが、大いに期待されているのでしょう。
 毎年「驚かされる」ことが多い、MLBの7月31日ですが、2017年はダルビッシュ有投手の移籍が話題の中心でした。

 2017年のポストシーズン進出が難しい成績となったテキサス・レンジャーズの、今季今後の対応策として、相当前から移籍の話が出ていて、移籍先候補としてニューヨーク・ヤンキースとロサンゼルス・ドジャーズ、そして「第三の球団」(結局どこであるかは分かりませんでしたが)が上げられていました。

 トレードの期限である7月31日午後4時(日本時間8月1日午前5時)の寸前に、このトレードが成立したのです。
 毎年のことながら「ギリギリのビッグディール」が必ず有るのがMLBなのです。

 ご承知のように、7月31日現在、ドジャーズは74勝31敗・勝率.705(驚くべき高率)で、ナショナルリーグ西地区の「断トツの首位」、メジャーリーグ全体でも圧倒的な勝ち星と勝率で2017年のレギュラーシーズンを快走中です。
 今シーズンは、地区優勝はもちろんとして、久しく遠ざかっている1988年以来のワールドシリーズ制覇に向けて、準備中だったのです。

 もともとニューヨークに存した球団(ブルックリン・ドジャーズ)であり、1958年にロサンゼルスに移転してからは、東のヤンキース、西のドジャーズとして、MLB屈指の名門チームとしての存在感は抜群です。ワールドシリーズ制覇も6回を数えます。

 とはいえ、そのドジャーズもこのところのポストシーズンではなかなか勝ち進むことが出来ず、気が付けば「21世紀に入って1度もリーグチャンピオンになっていない」のも事実。
 熱狂的なことで知られるドジャーズファンにとっては、ライバルであるサンフランシスコ・ジャイアンツ(同じく1958年にニューヨークからサンフランシスコに移転)の21世紀に入ってからの活躍(3度のワールドシリーズ制覇)を横目で見ながら、「歯痒いシーズン」が続いていたことになります。

 こうした状況下ですから、2017年シーズンに賭けるファンの気持ちはとても強かったのです。

 ところが、2017年の快進撃、圧倒的な強さの中心プレーヤーであった大エース、クレイトン・カーショー投手が、持病の腰を悪化させて戦線を離脱してしまったのです。7月23日のことでした。

 ドジャーズにとっては、「カーショーが帰ってくるまでチームを支える、エース級のピッチャー」が急募されることとなったのは自然なことでした。
 そして、ダルビッシュ有投手に白羽の矢が立ったということになるのでしょう。

 カーショー投手の2016年シーズンの故障期間を考慮すれば、マウンドに帰ってくるまでには2ヵ月位を要すると思われますので、8月から9月末まで、つまり「2017年レギュラーシーズン終了まで」、ドジャーズはカーショー投手抜きで戦うことになりそうです。

 現在の大きな貯金を考え合わせれば、地区優勝は当然として、ポストシーズンに体制を整えて気持ち良く向かうための準備期間を、カーショー投手抜きで戦うことになったドジャーズにとって、ダルビッシュ投手への期待は極めて大きいということになります。

 カーショー投手が帰ってくるポストシーズンでは、チームを支える「2本柱」としての活躍が期待されることでしょう。

 ダルビッシュ投手にとっては、メジャーリーグで最初に所属した球団であり、5年半を過ごしたレンジャーズへの思いは、相当強いものがあると思います。
 大投手ノーラン・ライアン球団社長と共に行われた入団会見や、9回裏2アウトまで続けた完全試合へのトライ、トミー・ジョン手術で1年半ほどプレーが出来なかったことなど、ダルビッシュ投手にとってレンジャーズは忘れることが出来ないチームでしょう。

 しかし、2017年8月1日から、ダルビッシュ投手はドジャーズの一員として戦うこととなったのです。
 野茂英雄投手、石井一久投手、黒田博樹投手、そして前田健太投手の例を出すまでも無く、「ドジャーブルーのユニフォーム」は日本出身投手に良く似合います。

 ダルビッシュ有投手のワールドシリーズ制覇に向けての戦いが、今始まったのです。
プロフィール

カエサルjr

Author:カエサルjr
「スポーツを考える-KaZ」ブログへ
ようこそ!
我が家の月下美人も16年目。同時に30個の花が咲くこともあります。スポーツも花盛りですね。一緒に楽しみましょう。

最新記事
最新コメント
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

Page Top
CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728293031